自分の信念を大事にする
『人を騙すような商売はしたくない。』
これだけは仕事をしてきて、ずっと貫いてきたポリシーだ。
そういうことに自分の貴重な時間を費やしたくない。
でも綺麗事ばかりも言ってられないのかと思うと、世の中に幻滅してしまう。
完全に燃え尽き症候群だ。
また、騙しているけど、商売として成り立っていたりもする。
利害関係が一致するというか。
安くて品質が悪い家具を大量に作る。デザインはパクリ。壊れやすいからクレームも多い。でも一方でその安い家具しか買えない人もいる。私もその一人だ。
だから正しくことと悪いことなんて、一概には決められない。そういった矛盾を抱えながら、バランスを取りながら生きていくしかないんだ。
それでも少しでもこの商売に関わっていると、堂々と言えるようになりたい。自分の仕事に誇りを持ちたい。
青い鳥症候群だと言われるかもしれないけど、そこに向かってまだまだ挑戦していきたい。
一番近くにいる人を大事にする
家で仕事をしていると、つい家族にあたってしまう。
直接あたっていなくても、不機嫌なオーラを出しているだけで、それはあたっていることになる。
対人関係療法によると、一番身近な人を大事にすることが重視されている。
一番身近な人が一番大切な人だから、その人に不快な思いをさせて嫌われるようなことがあってはならないのだ。
つい、一番身近な人に甘えてしまうけど、その時はその時に適したコミュニケーションを取る。難しいけど。
『アイツが・・してきた』と憎むべき相手を主語にした時点で、頭が沸騰しそうな感じ。これは完全に相手に気持ちを支配されてしまってる。
主語を自分にしてみると、『私はアイツに・・されて、』となり、続けて自分の気持ちを言えそう。そこでひと呼吸置けて、冷静に頭で考えられそうな感じ。自分で自分の気持ちを支配している。
こうすると、アンガーマネジメントとも共通するところがある。
怒りを伝えるときは、『私はこう思う』と伝えると相手にとって良いみたい。
確かに『あなたは・・だ』と言われるとカチンとくるが、『私は・・と思うから、こうしない?』とか言われたら、素直に聞けそう。
こんなこと今まで誰も教えてくれなかったけど、こういうコミュニケーションのコツなるものが浸透していくと、パワハラが減らせるんじゃないかと思う。
鈍感であることは正しいのか
よくストレスを溜めないためには、鈍感力を鍛えるとか、そう言われるけど、それって本当なの?とずっと疑問に感じてきた。
「鈍感」がすごくポジティブに捉えられている。そのことに違和感しかない。
職場で鈍感な人が何気ない言葉で敏感な人を傷つけている。
いじめってそういうケースもあるんじゃないかな。
鈍感な人は鈍感だから、何が悪いか自分じゃ気づくことができないよね。
敏感な人は敏感だから、そんな意図がなくてもすぐに傷ついちゃうよね。
多様性と言っているけど、民族の違いとか性別とかそういった大きな区分ではなく、このような生まれ持った性質の違いにもフォーカスしてほしい。
HSPというキーワードがまるで流行り言葉のように拡散されているけど、結局マイナスイメージであることは変わりない。
特に職場では、仕事ができればどんなに性格が悪くてもOKという風潮もあるし。
(それは、私が渡り歩いてきた会社がブラックだからだろうか・・・)
こうふるまうのが正解・不正解ではなくて、色々な性格な人を認めて、お互いに嫌なコミュニケーションを取らないように努力するというのが普通になったら、そんなにうつ病になる人が少なくなるのかな。
今はあまりに鈍感な人が世の中を牛耳っていて、敏感な人が追いやられている。
相互理解ということをもっと学校教育でも教えていってほしい。
ちょっとしたことでも怒りを感じる
最近よくキレてしまう。
今の仕事に就いてから、ほぼ毎日のようにキレている。
そして、リモートワークだから、キレても誰にも見られない。
だから余計にキレてしまう。
よくマウスやノートPCに当たってしまう。
ノートPCは、これまで何十年もWindowsを使ってきたのに、
いきなりMacになったから、思ったとおりの操作ができなくて、
キレる対象になってしまう。
慣れないツールばかりで、何か自分宛にメッセージが送られてくるだけでキレてしまう。邪魔されたと思ってしまう。
「アンガーマネジメント」の本を読んだ。
そりゃあ理屈はわかるけど、この感情は沸点を超えると抑えられないんだよね。
最近その沸点がかなり低くて、すぐキレてしまう。瞬間湯沸かし器というのか。
こんな人から嫌われるような人間に育ててくれた親にもキレてしまいそうで、
実家に帰るのは当分見合わせようかな。
もともと何らかの障害をかかえているのか、それともうつ病や適応障害なのか。
この怒りの原因をはっきりさせたい。
ネガティブを肯定したきっかけ
某オーディション番組がきっかけで、SKY-HIを知った。
彼の『me time』という曲の中で、
ネガティブも君の一部なら僕はしていたいよ大事に
というフレーズがあって、そのままでいいんだって勝手に思ってしまった。
別にSKY-HIは私の彼氏でもなんでもないのに、認めてくれる人がいるからいいよねと。
今までラップが入っている音楽はあまり興味がなかったけど、ちゃんと歌詞を読むと、グッと刺さるものがある。
SKY-HIだからかもしれないけど。
歌詞を読みたくなる歌なんて、何十年ぶりかな。
昔はすごい歌詞カードを読んで、一生懸命歌えるように練習してたな。
あの頃の自分って、なにを考えて生きてたかな。
色々なことがたくさんありすぎて、そのせいで危険察知情報が脳にインプットされすぎたから、ネガティブになっても仕方ない。
この会社に入ってから、嫌なことばかりが続いてるけど、あまりにも回復しないということはこの場所から逃げろという警告なのかもね。
ネガティブと共存して生きていく
何か自分の想いを書き記していきたいという衝動に駆られた。
Twitterではその都度、感情の赴くままに記してきたけど、
あの短い枠の中では、このモヤモヤはいつも書き切れなかった。
ここ数年、適応障害と診断されてから、メンタルクリニックに通うことになったのがきっかけで、自分を見つめ直すという作業をひたすらしてきた。
この病名が自分に当てはまるのではないかと思い、その病名について書かれた心理学の本をたくさん読んできた。
結論としては、愛着障害により、小さい頃から抑圧されてきた怒りのエネルギーが、40代になり抑えきれない状態に至ったと考えている。
結論がわかったところで、そんなすぐには性格は変えられない。
むしろ変えようとして、かなり歪みが出てきたとも思える。
「ありのままの自分を認める」という考えを使わせてもらうならば、もうこのままネガティブでもいいんじゃないかと思い始めた。
よくポジティブが正、ネガティブが悪と捉えられているけど、そんなことない。
世の中、考えが二極化しすぎている。
私はネガティブを矯正して、ポジティブになろうとは思わないし、共存して生きていくことに決めた。
Twitterと同じように、このブログを通して、同じ考えを持つ人、同じ悩みを持つ人に出会えるといいなという期待を持って、始めようと思う。